10/04/2018

 

あたふたと焦っているだけで、何もできなかったような気がする一日

 

実際は、九時くらいに、n度寝をかました後に起床

買い物を済ませ、向こう二日三日分くらいの料理を済ませ、部屋の片づけをして、ポーランドの旅行の全貌を明らかにして、溜まっていたyoutubeなどを見て、今

 

住民と久しぶりに再会、久しぶりだねえといい、ビズを済ませる(毎日会うので、初めてしたような気がする)

彼の母が来ているらしく、部屋でごはんを食べていたらわざわざノックして、あいさつに来てくれた ろくな挨拶もできなかったが、とにかく優しそうな方で、あの母ありてその子あり、という感じだった

母さんすまん…という気持ちに何故かなった

 

旅行って行くまでがしんどいんだよな 行ってからもしんどいんだけど

一人なので、幾分か気は楽ですが、慣れていても、初めての土地は怖いな 英語通じない確率が多そうなので、あいさつくらいは覚えていこうと思う

 

話がとびとびだけれども、片づけをしている際に思ったこと、何度も嫌になるくらい思ってるんだけど、

例えば片づけをしていたら、服が気になって新しく買った服などを試着しだす(春夏に向けて)、これはまあわかる

服の片づけしてたら、机が気になる、机片づけてたら何か食べたくなるor他のものに気を取られる…という感じで、一生終わらないんだよな

と、ふと冷静になった瞬間に人生の縮図を見ているかの気分になり、何もかも嫌になりお布団にくるまってじっとする

というのが流れだよな と思った、布団の中で

机が気になった時になぜ我慢できない?不思議である その時の私はすごく真剣なのだから(机の汚さに対して片づけなければという責任感のようなもの)

 

一年ってすごく早く過ぎていく中で、私は割とやりたい事が多いと思うんだよな

そうなれば、今の時間の使い方は、上に書いたような思考では、すごく自分にとってまずい、というか、気持ち的な部分で負の感情が湧きやすいルートを通ってしまっている

この数カ月は、自分の特に直近の気持ちのままに生きてきたことに、頭が勝手に焦ってるんだと思う(留学中に何やってんだという話ですが) それでも200%くらいの力を出してだらける事や、人に対して怒ること、休むことは難しかった

刹那的な選択をしがちな私が、それを全力で許すキャンペーンをやってきたわけです

窪んだというか、あいた穴を少しでも把握するために

それで少し把握できたことを自分なりに書いてみる

 

なんか年を経るごと・いろんなことがあって、空気が苦しくなってきたから、自身がメタモルフォーゼする必要も感じていたわけですね その時は、世間というものに淘汰されてしまいそうな恐怖だけを感じていた

そろそろ人のことを見たり、相対的な自分を見て、その上でどうなりたいのか・どう動くのが自分にとって有益かを考える時が来てると思う

なので、時には自分の気持ちを、将来の自分のためにコントロールしたりしようかなと、いまは思えるようになった 

こう書くと、まじで子供に注意してるがごとくだ しかし、私の思う大人なんて本当は一握りしかいないことを最近はわかってきたから 落ち込まない

 

で、全てのちぐはぐを、何かのせいにできるけど、それは嫌だ

今までなんでこんな考えで、ずっとふらふらとやってこれてたと思ってたんだろう…と不思議にも思っていた それは昔の自分のことを、よくは思い出せない部分があるから

感覚が全く思い出せない

読んでた本の中で、形而上学的自負心というのを見つけ、ああ…そんな得体も知れないものに支えられていたんだ…と腑に落ちた 羨ましくも思う

それで本当に何とかなっていた時もあるのだし まあそれは形而上ではなくなっているのだけど

なんせ、自分自身は大人になってはいないけれど、社会は年齢に達すると迎えに来るんだよ

自負心が強すぎた私は、迫りくる社会がとても怖いんだと思う

まだ本当のことを見たくないという気持ちもあろう

そもそも、わたしがこの分野を選ぶ前、私は美大に行きたいと思っていた

センスがあると思ったから みなとは違う道を行きたかったし、それでいてある程度の社会的地位や、生活を保ちたかった し、なによりできると思っていた

姿が鮮明に見えた

今考えるとなんちゅう考えだ…と思うけども、それも全て形而上の自負心からくる、なんかいける!!というやつだよな

それで結局、社会とのより深いつながりを選んだがゆえに、つまり大学に入る前に少し自負心は折れかけていたゆえに、この分野にいる

折れてしまっても、名残としての記憶は残っているから、自分の分野以外にも名残があるんだろう 世間とは隔離されつつも、自分の才能のみを評価され、その糸をもてして、社会とつながる世界の事

今は目の前は勿論、その先にも靄がかかっている

 

私と魂を分けた人に、あなたの謎の自信と疑いのなさ・素直さ・突拍子さ・それでいて自分の思ったこと、そのプロセスをするりと言葉にできるところは、本当にすごいと思う と褒めてもらったことがある

言葉で表現することはなかったし、自覚はなかったけど、私もそういう自分は大好きだ、という気付きがあり、なんとか、目の前にかかってる靄を

人に聞いて返ってくる、他人行儀なものでなく(あくまでも他人なので仕方がない)、自分で考えて晴らしたかった

自分の好きな部分と、変化できる部分

上手く混ぜながら、大きくなりたい

悲しいことすべてが、その人に影を落とすことしかできないのならば、すべてのさよならに意味がなくなってしまう すべての春が、巡る季節が、無へと帰すことになる

 

少しでも、自分が世界のことを好きなまま死ねるように選択を進めていきたい