23/08/2018

 

朝起きる 体が寝床にへばりつくような不可抗力のだるさは改善されてきたような気がする それでもいかんせん機嫌が悪く申し訳ないのであった

 

美術館に送ってもらって、帰りに少し買い物をして帰る

昼ごはんからは(15:00くらいにたべた)あんまり何もしていないな 台風のために皆が帰ってきていて変な感じだった

 

わがままと言われればそれまでなんだけど、

私は、プライバシーが脅かされるような、それでいてその種の親しみ(私にとってはもちろん親しみでも何でもなく、ただ脅かされている感覚)を家族の当たり前の行いとしてされるのが本当に昔から嫌いで一人暮らししたかったんだ、ってことを不意に思い出される日だった

 

そして同じテレビ番組を見ているときに感じる不協和音のようなズレと面倒くささ

特に家族や病気、倫理観をときに問われるようなこと

最終的に感動したり泣いたり、感じるところは一緒だったとしても、それまでの過程での疑いや、例えば本当にこれは正しいことなのか泣くことなのか、誰も傷ついてはいないだろうか、伝える側の意図が入りすぎていないかとか、そういう部分をつぶさにできるだけ平等に自分の目で見たいだけなのに、時々答えを間違えると薄情者のような扱いを受ける

 

それでいて私も黙っていることができないので、ズレに合わせるように話す

自分が何を考えているのかわからなくなってくる

 

黙っていたら難しい子だから…というはれもの扱いを受けるし

というか、腫れ物でも本人に腫れ物と言わない(その上感じさせない)優しさ?覚悟を持ち合わせてほしかった

 

全てがひねくれている ネジ曲がっている

 

ああ、しかし、ずっと辛かったこと話して楽になってきていると思っていたけど、最近はもうなんの薬にもならなくなってきて、もはや話している自分が軽率に思えて気持ち悪く、気持ち悪いのに自重もできず、それでもなお勝手に自分自身の虚像(思ってるよりそれが実像なのかもしれんが)に縛られてどこにもいけないのが苦しい

特別なもの、ことを、共通の認識に落とし込まないでほしいという気持ちが強すぎる

もはや私の持つ全ての言葉を持ってしても(言葉はそもそも記号でしかないし)この脳内スペクタクルはしゃべれないような気がする

 

この前人と喋っている際に、その自分から離れていく感じが、辛いことを和らげるという感覚らしいということを知った その時の真剣な自分を私はいつまでも笑うことができない 自虐などしたくない 言葉の端々や勝手に特別な過去を予測されたくない

というか話すまで待て 予測できていたとしてもとしても初めて知ったような顔をしろ うんうんやっぱりそんなことかなーとは思ってたよとか言うな と思ってしまう

みんな辛かったり悩んでたりするから大丈夫、が一番あ、そうですかってなる やはりこの痛み、苦しみは自分から解き放つことなどできないと絶望するだけ

そこで私は話す相手を間違えたな、とか思う 思いつつしゃべるのは自己責任

 

なぜこんなに生きて自分の機嫌の直し方すらわからない?

寝よう