26/06/2018

 

あと二日 今までの課題に比べれば(最近)順調といえる

先ほど休憩するときに、ベットに入っていつものアルバム「呼吸」をききながら布団を頭までかぶり寝ていた

悶々と考えて結局寝れなかったのだけど

その間、頭の中でいくつかの不思議なイメージ、走馬灯のようなシーンもあった、それらが巡って

どくどくと鼓動が大きく脈打つのを感じて

体の脈という脈に血がみなぎり、今まで曇っていた何もかもが晴れ渡り

自信がみなぎってきた

 

しばらくは、自分でも何が起こっているかわからなかったし、時々起こるめっちゃやる気が沸き上がるだけのやつかとも思って、横たわっていたが、そうでもなさそう

なぜなら、今までの心の痛さも辛さも覚えていて、それは失敗とか黒く塗りつぶしたいモノたちもあるんだけど、それらを隠す必要なんてないんじゃないか?と思ったからである かといって誰かに喋る必要もないと同時に思った マイナスポイントとして減点することがおかしいと思ったということかな

些細な一つ一つ起こる日常の出来事全てに対してわかりかねるという不安が吹き飛んで

自分が自由に飛び回れるような感覚(実際その後トイレに行くときにフランス語が何の不安も劣等感もなくしゃべれた)

だから自分のヌメッとしためんどくさい性格すらも、愛おしく思えてきたのであるよ

死にたい気持ちの向こう側なのか?

ただの少しの躁状態なのかわからん

 

昨日は久しぶりに泣き続け、すっきりして疲れて寝てしまったからなのか

ぐるぐると色んなことを思い出しながら私はただ泣くだけじゃなくて、ちゃんと進んでいるという証拠なのだろうか?

 

未だに自分の心の色や形がわからないために、気持ちをコントロールしにくい

ネットや人に相談して得ることのできる対処法というのは、一個人のもので私のものではない という考えが頭にこびりついて、意識してしまってなのか、それらの方法では私の心は動かない 休みたいときに休んでしまうし、やらないといけないときでも体は動かない 自分を追いつめて諦めさせようとする 失敗するための十分な原因を用意周到に 全力でやって自分の程度が知れるのが怖くて

だからこそ、こういう虚栄心とかを別に恥じるものではないと思えはじめたあの一瞬は驚いた いつまで続くかわからんけど

 

自分が何者であるのか、把握しようとする試みはみな無意識のうちに幼い時からやってるのかな? 自分が何者にも侵されない感覚(一人で生きてるなどと考えているわけではなく)、どこにいるか把握できることはとても重要なことなのかも

だから、今更だけど、一々の判断に対して真剣なめんどくさい人になってもいいのかもしれない

 

ドクドクを書き留めるだけに来たので

さて、この高揚感が終わらぬままに、発表も終えたいところ

 

かいたら少し落ち着いてきて、眠くなってきてしまった

ただの躁状態かな さてはて