08/03/2018


昨日何したかな

最近何をするわけでもなく、パパパーと1日が過ぎて行くと


何かはしてるのだけれども

一週間が1日の積み重なりで

1ヶ月が、1年がという事があまり想像ができない

毎日自分が例えば筋トレをして1年後にムキムキになっているかも知れないことくらいは理解できるけども、

どのくらいで、やりたい事、成し遂げたい事に辿り着けるのか、分からないままヌルヌルと進んで行くような気がする

本当にヌルヌルと

終わってから振り返って初めて後悔する 何事もそうだよ、と言ってしまえばそれまで

ここで例えを書こうと考えている、しかし、数値化されたものの達成だとか、明確に終わりがあるものについて、しか思いつかなかった


受験の頃、ある程度の達成感があって、それは机に座っていた時間だとか、時々にある模試だとか、そういうもので自分の立ち位置、本当の意味での立ち位置つまり順位だとか、が出てたからからであり


今直面している、所在のないモヤモヤは、自分の相対的、客観的?な視点がないからボヤけて不安なんだろうね


どこか違う場所、つまり今のここ、に来れば、何か変わるかも知れない、もっと大きなものになれるのかも知れない、という期待とのギャップでもあるかも知れん

モチベーションの向上、あり得ない機会に恵まれる、という部分に関しては可能性を秘めているし、自分の中の新たな何かが見つかるかもーという部分に関しては、頷ける

けれども、日本にいる時の延長線上でしか自分は語れなくて、この先もこの場所に自分の始点が出来るわけでもないのだから、まだずっとヌルヌルとしてるんだよな この先も


機会や環境は着火剤みたいなもので、炭や火は自分でしか用意できん(ようにしたのは私ですが、それで大きいものになれるかもとか思うてる時点で何なの、という話で)

生きるのってしんどい

炭や火を他人から焚べられ続ける人間も居るんだろうな

それもつまらんとも思うよ

それならパキッと前を向いて(いる風の強がりでも)モヤっとしないのがカッコいいと思う

しかしそれがとても燃えやすい空気の良い感じに通る場所にボサッと置かれておれば、羨ましいと妬み、漠然とした暗闇に飲み込まれるのが人というものでしょう


先の事を考え過ぎるのは、期待過多になりがち(その原因になるのが着火剤頼みな私の考え)だし、その修正も上手くできない

これはずうっとどうしたらええんだろうか、と思っている事

改善せねば、とも思っている事


私の中で、これが胸を張って出来るようになれば、大人だと自分の事を呼べると思っておるよ


とはいえ、立ち止まってモヤモヤと考えることも出来ず、日常は正面からぶつかってくるので、あたふたヌルヌル進むしかない、と言うわけです

息するだけでお金がかかるとはなんと虚しい事だろう

お金かけた分くらい、と思ってしまうのが、生来の貧乏性という感じ


今日もヌルッと行きましょう