20/04/2018

 

だいぶ日にちが開いてしまった

携帯で、旅先にて日記を、それもとても長い奴、書いていたのに、消えてもうあきらめていたんだった

 

もう二〇日です

やばくね??? というのが正直な感想

 

旅行の事、

友達に会ったり、重い歴史を見たり

色々考えたな

私の中で、自分中心の考えが一番生活していく中で、テキトウな他人にも過度な期待をせず、裏切りのようなものも、自分が一人なんじゃないかと勝手に思って騒いだりとか、そういうのがないと思うんだよな

人間はもともと一人で 最後まで一人

その奥に、人を招き入れるのは、とても危険を孕んでいて、とても気持ちが良い

 

それで、違う話ではあるようですが、ある思想や方向性は、世間のなかにて初めて発揮すると思う

磁力のない場所では、方向 など生まれるわけがないのだから

時々出てくる、時代にぴったりと合った、自負心が強く、カリスマ性のある人間が、その方向性のために、凶悪になることが稀にある

 

そういう磁力のある人は、遠くにいる人も引き寄せる

それぞれの人が、磁力、つまり思考や考えがあれば、力が相殺される可能性はある

だから、世間というものは保たれてるんだと思う

人は弱い生き物だから、磁力を放棄して、強い磁力によって、自分の磁力を得る人もいる 自分でもわからないうちに

これは、心の奥に人を招き入れてることだと、錯覚するとも思う 自分の磁力と勘違いすること だから考えなくなる

そうして、知らないうちに、強い磁力が出来、その中にいる反対の磁力は、放棄する以外、それはもうはじき出されるがごとく、反発してしまう

 

つまり、戦争はそういうものだと考えているんだけども

 

また、世間に蔓延っていた(いる)、常識や決まり事、それは磁場であり、磁力を調整することができていたんではなかろうか

磁場は、単体で力を持っていて、赤子のころに擦り付けられるように、私たちは力を蓄えてきた 多様性は良いとして、常識にとらわれるな、という言葉に漠然とした気持ち悪さや矛盾、うさん臭さも感じてしまうのは、そのせいだと思う

端的に言うと、主な自己形成の要因は、磁場によるものであり、多様性は、常識や決まりごとが単に増えているだけで、決して自分から発する磁力が特別ではない、と思うから むしろ、強い反発を恐れて、特別さを失うために、様々な方向を増やしているのだと私は思っている

少しの磁力の反発みたいののって、状況によって、しんどくなる人もいるだろうし、いや、実際疲れるし、結局同じ磁場に入るために、放棄するなんてこともあると思うんだよな そして、相殺に見える、反発自体の数は増えてるのであって、恐怖はいつでも側にある 結局 やっぱり考えないことが一番怖いと思う

 

っていうのを色んなケースで考えるために、いろんな場所に赴き、物ごとを考えるようにしているのです、っていうのを、アウシュビッツで一緒に回った人に伝えたかったなあ…

 

あ、あと、現地まで赴くのは、物の持つアウラを信じているからです

信じる所以は、私が感じていることにある

物のでかさ、は違うけども、古さ、つまり自分の中で測れるものとして、時間が表出している物体に、私の心は震える

 

もう後二カ月ほどしかないことに焦りを感じつつ、ごそごそと動きましょう

なんか、毎日少しずつ私が私の形になり、空気に触れてからの時間が長くなること

普通に感慨深いな

良い旅でした 無事に帰ってこれてよかったね