21/03/2018

 

朝から夕方までワークショップ

起きてから結局学校へ向かうまで、15分しかなかった(それでも予定より五分遅く家を出ている)為に、昼ごはんを作ることはできず、食べなかった朝ご飯を昼ごはんとして消化した

 

昼は図書館に本をちゃんと返しに行けた 図書館では一日百円くらいの利子(意味は違うが気持ち的に)を分捕られていくので、必死の形相で返却に向かったのであった

 

ワークショップ自体は、役に立ててるのか立ててないのか、自分では判りかねる

しかし、愚痴りつつも、自分にできる事をやるしかないので、残り二日…

一週間って早いのね

最後に、先生に草案をしてもらっていたので、だいぶ時間を過ぎて、へとへとで帰宅

 

晩御飯は明日の分まで作れたので、なんとか及第点

お菓子作りは勿論断念して、ご飯を食べ、お風呂に入り、今である

明日は一時間早く集合するようなので、朝一の議題について、資料を今から集めて、言語の予習をば しかし、瞼が重い

 

明日あるイベントに、今月新しくできたお友達を誘おうと思っていたのにな…

断られるうんぬんよりも、ワークショップが思ったよりもやっぱり最終は切羽詰まりそうなので、チキった すなわち、言葉を置き換えるのであれば、余裕を持たせただけなのですけれども ギリギリで生きているのも結構好きなタイプなので…

 

残り数カ月で、帰ることを先ほど口にしたら、現実味が出てきて、逸る気持ちが前に前にと私を押し出す

私の脚は、その押し出しに対応出来ずもつれるのが常なので

が、しかし、深く深呼吸すると誰も押してない、というのもその常なので 深呼吸

 

私にできる事は限られている

何度も自分に確認させているけれども、自分の精一杯を一生出し続けることは私には不可能だ 私はそういう人間だ

休むことにも精一杯になれない

落ち込む必要はない、悲しむ必要もない 事実

その為に、取り残されたような気分になること、自分に、自分の選択に、嫌気がさすこともたくさんある

私は自身の選択をもってして、自分が作られていくのに、それすら心置きなくできないとは、後悔とは、他の選べなかった選択肢のささくれなのか、

本当に望んでいる自分とは、なりたい自分になったところで、その自分は、他の私を望むだろうよ わからん

 

中途半端な自分が嫌いだ

悟り、または認めること、どのような言葉が一番適切なのかはわからんが

呪いのような、この自分への自問から分離されたい

分離して、自立しながら考えたいよ

 

最後にまとまりがなくなった

今日も一日お疲れ様でした

不安や寂しさのために、心が落ち込んでいるのだろうけれども、

明日もきっと良い日になる

おやすみ